大地震

2011年3月11日 午後2時46分 
だんだん大きくなる揺れ。想像以上に長い。
そしてモノが落ちて来て割れたりして。
やっと揺れが止まった時は、今まで経験した事のない揺れに、息子を抱えてガクガクしてました。
でも息つく暇もなく続く余震。外を見ると木や街灯もすごい揺れてる。
ウチは1階なので、すぐ出られるように窓を開けて、ベランダにしゃがみ込んでた。
落ち着いた頃に部屋に戻ってテレビを見ると、もうパニック。
そして、茨城の実家の方が揺れが大きかった事に焦って家族に連絡。でも誰も繋がらない。
そのうちケータイ自体が繋がらない状況になって、さらにテレビでは見た事も聞いた事もない情報や映像が流れてて、怖くなって涙が出て来た。その傍らで、息子がいつもと変わらない表情に安心しました。

家族とはなかなか連絡がとれなくて、旦那さんも一生懸命かけててくれたみたいで、
で、運良く母に繋がったらしく、旦那さんから無事の連絡をもらいました。
しばらくして、妹が公衆電話からかけてきてくれた。
妹の声を聞いたとき、また涙がでた。すごくホッとした。そして父も母もイサムも家も無事な事がわかった。力が抜けた。

こんなに連絡がとれなくて不安になったのは初めてでした。
4時間後くらいにやっと母と会話ができました。
その一方で今度は旦那さんと連絡がなかなかうまく繋がらなくて、
結局旦那さんはこの日会社から帰れず。
今度は続く余震の中、息子と2人きりの状況が怖くてたまらなかった。
でも、やっぱり息子には不安な顔は見せられないし、必死に歌うたったり思いっきり笑ったりして
いつも通りに過ごしてほしくてがんばった。
お風呂も急いで入れて、いつも通りに就寝した。

その後はもうテレビの前から離れられず。お風呂にも入れず。なかなか眠れず。
とりあえずまた地震があったら逃げられるように荷造りしておにぎり作った。
緊急地震速報に何度もビクッとしながら朝を迎えた。

ニュースの内容はどんどん悲惨な状況ばかり。ショックだった。
やっとお昼前に旦那さんが帰ってきた。ホッとした。

日が経つにつれて、被害状況はどんどん酷くなる一方で
東京ではいろんなパニックが次から次に起きている。
買いだめはしないと言っても、小さい子どもに我慢はさせたくない一心で必死に食料確保したり、
ガソリンがないから近所で用を済ませたり、バスで移動したり。非日常の毎日に戸惑いながら過ごしてます。
そして、被災された方々の為に何かしたいという思い。でもそれを今すぐカタチにするのは難しい現実。
いつ届いて何が買えるかわからないけど、日本赤十字社を通して寄付をし、
今は節電に努めてます。

茨城の家族は3日間電気が来なかった。水も止まってたから毎日公園の湧き水を汲みに、みんなで何往復もした。続く余震の中ろうそく生活。
食材はいっぱいあったらしいけど、調理ができないからごはんも困ったらしい。
カップ麺とか、バカにせずちゃんと買っておくんだったと言ってた。
電気が復旧してもお水の出ない毎日。でも、近所のみなさんがお水やごはんなどいろいろ分けてくれたり、井戸水のおウチからお水いただいたり、いっぱい助けてもらったと言ってました。
そしてそして今日、やっっっっっっとお水が復旧したとのこと。市内でも一番最後だったみたい。
でもこれで一安心です。日常の生活に戻れる環境になりました。

茨城県も被災地で、あちこち津波でダメージを受けてるし、ライフラインもダメージが大きかったのに、全然報道がされません。だから救援物資も全然届かないみたい。みんな自分たちでがんばってる。
この状況を少しでも多くの人に伝わって、復旧作業が進んでくれるといいです。

とはいえ、東北の被災された方々のことを思うと、命があるだけでも幸せな事なんだということに感謝するばかりです。
毎日涙を流さずにはいられない状況が映し出されてますが、どうかどうかこれ以上被害が広がらないように。みなさんが元気になってくれるように。祈るばかりです。
そして、亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈りします。
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by nanao0706 | 2011-03-21 17:33 | くらし